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津波(つなみ)は、海域での地震プレートによる)や海岸地域で起こる地滑り海底火山の活動、海底の地滑り、海洋への隕石の落下など気象以外の要因によって引き起こされ、海岸線に到達して被害を及ぼす可能性のある高波である。もともと日本語だが、20世紀後半以降は広く国際的に「Tsunami」と呼ばれている(後述)。

津波予測

インド洋大津波の発生により、巨大津波に関連する人工衛星を含む様々な観測データが集められたことから、コンピュータモデルによる予測モデルの検証 が可能となった。米国海洋大気局のMOST (Methid of splitting tsunami) モデルや東北大学のTSUNAMI-N2などの計算手法が開発されている。津波シミュレーション技術は、津波予報やハザードマップ作りに活用されている。 また日本には世界最大の2.5mの人工津波を引き起こす事ができる、港湾空港技術研究所の大規模波動地盤総合水路があり、建造物への被害予測のデータ収集などが行われている。

潮位の観測は、沿岸の潮位計に加え、海底水圧計を用いた津波計も整備が進んでいる。従来は海底ケーブル用いて信号が送られていたが、衛星へ信号を送れる海面ブイによって信号を送るタイプの津波監視計も開発されており、より設置が容易となってきている。

誤った伝承の流布

原則として地震の規模が大きく、海底の上下変動が大きければ津波が発生するが、しばしば津波に関する誤った情報が伝承されているとみられることがある。

「晴れた日には、よだ(津波)はこない」と伝えられていたが、昭和三陸地震の際にはこの伝承によって却って大勢の犠牲者を出したと言われている。天気の晴雨によらず津波は襲来する。

昭和三陸地震では強い揺れを伴ったが、「強い揺れがあったときは津波はこない」という理由から避難が遅れた者もいる。これは、明治三陸地震で弱くゆっくりとした揺れの後に津波が来たという経験に基づいている。

昭和三陸地震では「冬の晴れた日には津波はこない」という言い伝えのためにも犠牲者がでた他、明治三陸津波が発生した6月15日が旧暦端午の節句、昭和三陸津波が発生した3月3日が新暦桃の節句に当たることから、「津波は節句の日に来る」という伝承も生まれた。

また「津波は引き波から来る」という誤った知見に基づいた教育がかつて行われていたこともあり、途上国を含めて誤った知識が流布されている。かつての日本でも、「地震が起きたらへ逃げろ」[9]という誤った教訓、或いは誤った「生活の知恵」により、多数の津波による犠牲者を出した例がある。

北海道日高地方アイヌ民族には、「津波の神は酒粕を嫌うので、家の周りに酒粕を撒けば津波避けになる」との伝承がある。

津波情報の充実と問題点

津波は、同じ高さの気象性の波浪に比べて波長が非常に長いため、一波が押し寄せるだけで大量の海水が海岸を襲う。

緊急警報放送緊急地震速報などの施行で現在は津波情報が充実しているが、津波警報が出ても避難をしない住民が多いことはかねてから問題になっている。特に地震が頻繁に起こる北海道釧路根室地域は非常に多いという。原因としては、

  1. 全国的には肝心の津波の恐ろしさ、言い換えれば普通の波と津波の違いが正確に理解し切られていないこと。
  2. 北海道の釧路・根室地域に限っては、他地域よりも頻繁に地震が起こるため、たとえ大きな地震が起きたとしても、「あっ、地震だ」とか、「また地震か」といった冷静な態度をとることが強く求められることや、警報や注意報が発表されても、実際には発表された高さをはるかに下回る高さになることが多いため、「まさかここまでは来ないだろう」と高をくくる場合が多いなど、いわゆる地震慣れをしていること。

があると言われている。

例として2mの普通の波と津波との違いについて述べよう。海上では普段から偏西風や低気圧(気流)、月の引力などの影響を受け少なか らずデコボコが生じる。2mの普通の波とは、このデコボコの差が2mあるだけの事で、波長や波を形成する水量は比較的少なめで、2mの普通の波が海岸に達 した所で海岸付近の地域に被害をもたらす事はそう多くない。一方で2mの津波とは地震などによる海底の隆起または沈下により海水面自体が普段より2m盛り 上がり、それが海岸に向かって伝わっていく、言い換えれば2mの水の壁が海岸めがけて海上を走り、岸壁にぶつかると同時に水の壁は崩壊し一気にとてつもな い水量が海岸地域を襲うということである。

つまり2mの普通の波は海岸に少量の海水を吹きかける程度であるのに対して、2mの津波は何kl(キロリットル)もの海水が一気に海岸地域を襲い、 自動車や多くの人を簡単に飲み込み沖へ引きずり込んでしまう程の威力があるのである。例えば、2mの「波」の水量は2(m)×波長数(m)×0.5×約 0.5×海岸の距離(m)で、海岸1mに押し寄せる波の水量は波長3mとして1.5m3(=1500リットル)、ドラム缶数本分である。一方、2mの「津波」の水量は2(m)×波長数十km(m)×0.5×0.5×海岸の距離(m)で、海岸1mに押し寄せる津波の水量は波長10kmとして5,000m3(=5,000キロリットル)、競泳用プール2つ分となる(体積の比較参照)。2003年に発生した十勝沖地震では、実際に2mの津波に飲まれ命を落とした人が確認されている。

ところが、最近は強力な防潮堤の設置などにより津波がブロックされやすくなったこともあり、津波警報が出るほどの地震が発生しても、津波による多くの犠牲者が出た地震の例は、日本国内に限定すれば1993年北海道南西沖地震以降、2010年までなかった(但し、数人程度の犠牲者が出たはある。また日本国外では2004年インド洋大津波で日本人の犠牲が出ている)。そのような事情から、『津波警報が発表されたけれども、そんなに大きな被害にはならないだろう。』という考えが出てしまうこともありえる。特に地震慣れをしている北海道の釧路・根室地域では、そのような考えを持つ住民は多いという。

ただし、2011年に東北地方太平洋沖地震で10メートルクラスの津波が発生し、甚大な被害を出している。決して津波を軽んじてはいけない。

津波への対策

1にも2にも、とにかく安全な高台へ逃げる(避難する)のが津波から命を守る基本かつ最良の手段である。その際は、自動車で避難すると渋滞や信号待ちが原因で津波に巻き込まれやすくなるため、徒歩か自転車で逃げるのが原則で ある。繰り返し津波の被害に遭っている三陸地方では、家族がばらばらになってもよいから各々が全力で逃げよという教えすらある。特に海岸や川の河口付近に おいては、大きな揺れや長くゆっくりとした揺れを感じたら、津波情報が届くのを待つ事無く(場合によっては揺れが収まる前であっても)すぐに高台へ避難す る事が大切である。これは震源が海底でかつ海岸にほど近い場所であった場合は、地震発生後すぐに津波が到達するために津波警報発表が間に合わないためである。北海道南西沖地震(奥尻島大津波)の惨事はそれを象徴している[10]

また、津波は高さよりも押し寄せる水量が被害の大きさを左右する。たとえ数十cm程度の津波といえども、水量によっては漁船を転覆させたり人一人を海へ引きずり込ませたりする程の威力が十分ある場合もある。ゆえに、津波警報、大津波警報ではなく津波注意報が出ている場合でも、油断して海岸に近づく事は大変危険である。津波に飲まれると水中で複雑な乱流が生じ、水面に顔を上げて呼吸することが困難になるほか、多くの土砂、浮流物に巻き込まれ肉を引き裂かれたり、それが元で死亡したりする。

2010年2月の「チリ地震津波」でも見られた事例には、第1波の波高が予想津波高より低く、たいした事がなかったとして、第1波到達後すぐに帰宅する住民が日本全国で多数いた。先述の通り第2波以降の津波が高くなる場合があるため、津波警報が解除されるまでは避難先へ留まっているべきである。

岩手県田老町(現・宮古市)、北海道浜中町などでは人命及び家屋の流出を防ぐため、1950年(昭和25年)頃より海岸沿いの陸上に防潮堤が建設され、後の津波災害を軽減した代表例とされる。田老町では世界に類を見ない総延長2.5km、高さ10mに及ぶ巨大防潮堤を建設し、後の1960年チリ地震津波による人的被害は皆無であった。

浜中町ではこの1960年チリ地震津波の後、壊滅した街に驚異的復興と共に総延長17km、高さ3mに及ぶ防潮堤で街を全て囲い、三方向海に囲まれた街を津波から防御した。その後人的被害は確認されていない。この後、北海道南西沖地震等度重なる津波被害が各地で発生し、防潮堤の建設が各地でされるようになる。

また、熊野灘の沿岸部など各地に、鉄筋コンクリート造の避難塔(津波タワー)が整備され、津波の危険があるときに周辺住民が逃げ込むことができるようになっている。